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万波中正はコンゴと日本のハーフ!出身小学校・中学は?砲丸投げで優勝?横浜高校時代の挫折と復活

もうすぐじめじめした梅雨がやってきますね。
梅雨は、薄い髪の毛がさらにのっぺりするので憂鬱になりますが、それを乗り切れば夏本番。

夏と言えば、やっぱり夏の甲子園が熱い!!今年もまた楽しみです。
普段の野球観戦よりも気持ちが昂るのは、やはり、そこにロマンがあるからでしょうか。

ところで、甲子園と言うと、昨年一躍時の人となった金足農業の吉田輝星選手が日本ハムにドラフト1位指名を受けてプロ入りを果たしましたが、今年日本ハムに入った選手で自分が同じくらい期待している選手がもう一人います。


それが、横浜高校の万波中正選手。

ドラフト4位で今年日本ハムに入団した19歳。
高校時代は挫折を経験し、実力が出せない時期もあったものの、その分これからの成長が非常に楽しみな選手です。

日本ハムというと何かと吉田輝星選手ばかりがクローズアップされがちなので、今日は万波中正選手について、勝手にご紹介してみようと思います。

 

【目次】

万波中正のプロフィールは?入団成績、身長など

万波中正

画像:北海道日本ハムファイターズ公式サイトより
 
万波中正選手は横浜高校の外野手兼エースとして活躍した選手で、現在日本ハムに所属しています。

2018年に開催されたドラフト会議の第4巡目で日本ハムに指名されて入団しました。

万波選手のプロフィールはこちら。

登録名/本名: 万波 中正

よみかた:    まんなみ ちゅうせい

生年月日:  2000年4月7日

年齢:        19歳

身長:        190cm      

体重:      90kg

出身地:     東京都      

投打:       右投げ/右打ち

 

日本ハム公式サイトより引用

名前の読み方は、「まんなみ ちゅうせい」。
名字も名前も変わった読み方なので、印象に残りやすい名前ですよね。
万波中正選手の身長は、公式プロフィールによると190㎝と、高身長。

2000年生まれの19歳です。

高校卒業したばかりなので顔立ちはどことなく幼さが残っていますが、イケメンですよね。
かわいいって言う女子の声が聞こえて来そうです笑
まだ入団してすぐなため入団成績はありませんが、実は、小学校時代から頭角を現していた注目選手です。

 

万波中正選手の父親はコンゴ人!母親は日本人で4人家族

万波中正選手と言うと、褐色の肌に日本人離れした顔立ちがかっこいいと話題ですが、。
万波選手の家族は一体どんな人達なのでしょうか。

調べてみると、万波選手は4人家族で、万波選手のお父さんは中央アフリカにあるコンゴ共和国出身、お母さんは日本人だということがわかりました。
ということは、万波選手はハーフなんですね、納得。

コンゴという遠い国からお父さんが日本に来た経歴が気になりましたが、そこは調べても分かりませんでした。
でも家族で20年以上は日本に住んでいるわけですから、日本語がとてもお上手そうですよね。

ちなみに、万波選手には2歳年上のお姉さんが1人いて、アイシャさんというそうです。
ちなみにお父さんはウイリーさん。二人とも素敵な名前ですね。

 

 

万波中正の出身は?小学校・中学はどこ?

万波中正の出身は?

万波中正選手の出身は東京都練馬区です。
練馬といえば、練馬大根で有名ですね。
練馬区は23区の中で唯一畑があり、23区内で最も公園や緑が多い区ですし、練習に広い場所が必要な野球も気兼ねなくできるような環境で育ったのでしょう。

万波中正選手の出身はわかりましたが、出身小学校、中学校はどこなのでしょうか?
調べてみたところ、万波選手の出身小学校は東京都練馬区にある開進第二小学校、中学校は開進第二中学校だということがわかりました。
「開進」って名前のかっこよさから私立の学校かと思ったのですが、どちらも公立校のようです。万波選手は開進第二小学校を卒業後、同じ学区にある開進第二中学校に進学したというわけですね。

 

万波中正の小学校時代!小6で身長177㎝越え!打球が飛びすぎで練習禁止命令?


万波中正選手は今も190㎝と長身ですが、高身長なのは幼少のころからだったようです。
小学校1年生で135㎝、6年生ではすでに177㎝と、日本の男性の平均身長を軽々超えていたとか。
そんな彼は、小学校時代のエピソードも強烈です。

小学校時代はブルーフェニックスと言う少年野球のチームに所属していた万波少年ですが、その長身から放たれる打撃のパワーは相当なもので、普通の打撃練習でもグラウンドの防球ネットを軽々超えて、民家に直撃することが多かったため、住民から勘弁してくれといわれて打撃練習が禁止になったのだとか。
小6でその威力とか、やばいですよね!アフリカの人は身体能力が高いイメージがあるので、お父さん譲りのパワーを受け継いだのかもしれません。

万波中正は中学時代陸上部に所属!砲丸投げで都大会優勝経験も

万波中正選手は中学時代、野球部ではなく陸上部に所属していました。

なぜ野球部ではなく陸上部かという理由ですが、おそらく彼が中学時代、東練馬シニアという硬式クラブチームに所属していたためだろうと思われます。

シニアのメンバーだと、中学の野球部の試合に出られませんからね。
それに、中学の部活動としての野球では、怪我がしにくいように柔らかいボールを使った軟式野球が主流。
高校に入って軟式から硬式に切り替えるのが苦労するのだとか。

高校も野球を続ける場合、硬式での野球に慣れたシニア出身の選手の方が高校野球で即戦力として活躍しやすい傾向にあるようです。
そのため、最近では、中学では野球部に入らずシニアチームに入る子供たちが増えているそうです。
ちなみに二刀流で有名な日本ハムの先輩、現エンゼルス所属の大谷翔平選手もシニア出身だそうですよ!なんだか納得です。

 

野球と陸上で二刀流の“スーパー中学生”

万波中正選手は中学時代、所属していた東練馬シニアにて、外野手兼エースとして活躍していました。
リトルシニアの日本選手権出場時の中学3年生では、すでに身長が190㎝に達し、球速は最速138km/h、スイングは150km/hを超えるほどだったとか。


参考:Wikipedia

中学時代でそんな投球や打球がだせるなんて、やばいですね!
皆が大器と期待するのも分かる気がします。

その一方で、中学校では陸上の都大会でも数々の成績を残しているスーパー中学生ぶり。

開進第二中学は元々陸上が強い中学校ですが、その中でも万波選手の身体能力は並外れていて、一年生の時は100メートル障害物競走の都大会で2位、3年生の時は砲丸投げの選手として活躍し、見事5kgの部14m85cmの記録で都大会優勝を果たしました。

 

ちなみに万波選手のお姉さんのアイシャさんも中学時代は陸上部に所属し、都大会では円盤投げ、砲丸投げやり投げの競技で優勝をおさめたのだとか!
姉弟揃って運動神経抜群なんて羨ましいですね。

 

 

中学卒業後は名門横浜高校へ進学!挫折を乗り越え復活へ

グローブ

中学では陸上とシニアチームを両立し、スーパー中学生として名を残し、野球の名門、横浜高校へ進学した万波選手。
横浜高校では、入学直後に行われた春季神奈川大会で早くも外野手としてベンチ入り、夏に行われた関東大会では背番号13をつけて準決勝で活躍するなど、期待のスーパー1年生として、入学早々から存在感をあらわしました。

バッターとしても投手としても類まれな才能を見せ、このままプロ入り一直線かと思われましたが、2年生後半に入ってから打撃不良で成績が伸び悩むように。

ベンチ外通告を受け、寮からも出されてしまい、その後は自宅から片道90分かけて通わざるを得ない状況になってしまいました。

 

スランプからの脱出!万波中正の不屈の精神

高校1年までの素晴らしい経歴から一転、スランプに陥り、ベンチ外、退寮と、普通の人なら心が折れてしまう程のどん底にいた万波中正選手ですが、彼はけして諦めませんでした。

 

野球を辞めてもおかしくない辛い状況にいたにもかかわらず、誰よりも早くグランドに来て練習し、ひたむきに努力を続けた結果、3年生の夏の地方大会ではメンバーに名前がなかった状態から、滑り込みでメンバー入り決定。

その後に行われた南神奈川大会では打率.542をマーク!
安定しなかったバッティングは正確性を身に着け、決勝戦には特大ホームランを放つなど、見事完全復活を遂げました。

この万波中正選手の復活の裏には、彼に厳しい処遇を下した監督の荒療治があったそうです。

不調の万波選手にあえて厳しくすることで、彼の不屈の精神を目覚めさせたのかもしれませんね。さすが、横浜高校の名監督、といったところでしょう。

日本ハム、万波中正の今後に期待!

今日は日本ハムの万波中正選手について、いろいろまとめてみましたが、いかがでしたでしょうか。

去年の夏の甲子園では、残念ながら横浜高校は3回戦で金足農業に敗れ、涙をのみましたが、そんな因縁の相手である金足農業の吉田輝星選手とは今やチームメイト。
強敵からよき友として、今後の日本ハム、ひいては日本野球界を引っ張っていってくれることを、今から心待ちにしておきます。

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